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MAKOA ブログ

コロナウイルスについて

皆さんお久しぶりです。久しぶりのブログが、今話題のコロナウイルスに関してなので誠に恐縮なのですが、少し思うところを書きたいと思います。

ちなみにハワイ島では観光客が激減しており、いつも賑わうビーチが少し静かな感じですが、ハワイ州も、アメリカ本土も謹慎推奨令は出ていないので、普段以上にのんびりとした雰囲気が漂っています。

なので、ハワイにいきたいなと思っている人は逆に今くるのがチャンスなのではと思います。どこに行っても静かですし、いつも以上に本当のハワイの「ゆったり」を楽しめます。

あとは考え用によっては、コロナウイルスから避難するのに持って来いの場所がハワイだと思います。なんせハワイ諸島は海に囲まれていますので、天然の要塞でございます。現代で人の流通が盛んになったとはいえ、歴史的にハワイに伝染病がくるのは、とても遅いから殆ど来ないケースが多いです。

この際、一ヶ月程一家でハワイに避難もありだと思います。ちなみにマコアではコロナウイルスからの長期避難&滞在も受け付けていますのでいつでもお問い合わせください。

前置きが長くなってしまいましたが、本題に入ります。

コロナウイルスに関して様々な情報が飛び交ってます。

きっと僕のブログを読む人は、「コロナウイルス宇宙から来た説」や「コロナウイルス国家陰謀論」「コロナウイルスと医師会、自民党、厚生労働省陰謀論」などなどが好きな人達が多いと思います。

僕も、コロナウイルスに関して、色んな想像を巡らしていた口ですが、この件に関しては沈黙を保っていました。

というのも、コロナウイスについて考えを巡らすこともなく、特に言うべきこともないなと思っていたのと、この騒ぎが逆に僕の自給自足熱に火をつけていまして、畑に夢中でコロナウイルスどころでなかったと言ったほうが正直なところです。

そして、当然のことなのですが、コロナウイスのお陰でハワイ島の観光は閑古鳥が鳴いており、私自身も仕事全然ありません。(皆さん暇ですから本当にハワイ島来てくださいね!!サービスしますよ)。

ですが、その一方で、畑を耕したり、普段ならあまり育てない野菜を育ててみたり、フラの方のお勉強に時間を割いたり、ホームページを充実させてみたりと、日々なんやかんやで充実しております。

で、コロナウイルスなんですが、宇宙論、陰謀論、自然発生論どれが正しくて、間違っていてもいいと思います。

むしろ全部正しいんじゃないの?ぐらいの気持ちでいいと思います。

何故かって、何を信じようとコロナウイルスがいるという事実は変わらないんです。

さらには多かれ少なかれ、僕たちが何処かで望んでいたことが、今の現実に反映してるわけで(そのプロセスは複雑怪奇で、諸説あるので割愛させて戴きます)、コロナウイルスも必要があってこの世界に出てきたわけです。

よく考えて見てください、今現在のコロナウイルスのへの認知は人間主体です。人間から見たコロナウイルスは、困ったやつかもしれません。

(以下、実際にコロナウイルスに肉親を奪われたり、身近な人が大変になっている方には、とても不謹慎な発言に聞こえるかもしれませんが、ご了承ください。決して、私はコロナウイルスを軽んじたり、この状況を嘲っているのではありません。)

だけど、ウイルス界ではどうなのでしょう?
新しい生命の誕生なんです。もしかしたらウイルス達は今、お祭りかもしれません。

また、自然界や動物界から見たらどうでしょう?地球を汚している人間の人口が減ったり、資本主義という経済活動が鈍ることによって、破壊されずに済む森や海や、死なずに済む動物がいるわけです。とすると自然界からはコロナウイルスは救世主かもしれません。

僕は宇宙論も、陰謀論のどちらも信じていません。ただ信じているのは、この世界には「バランス」があるということ。そして、その「バランス」は常にある一定の法則があって、帳尻を合わせようとしていること。コロナウイルスも何かのバランスを取るためのものだと思うのです。

だからこそ、色んな角度から見ないといけないと思うんです。

生きとし生ける、どんなに小さな目に見えないものでも、必ずそこに存在意義があり、何かしらの役目があります。

今まだ僕たちは人間主体から見た、そのウイルスの存在意義を見つけられないけど、この先はまだわかりません。

もしかしたら、コロナウイルスにかかった人はエイズにかからなくなるかもしれないし、インフルエンザにかからなくなるかもしれません。

また、コロナウイルスにより、資本主義の希弱さが露呈し、もっと人は経済活動優先より、真剣に自然との共存を探るかもしない。

それから、現実的にコロナウイルスの騒ぎで家にいたら、家族との時間増えませんか?
溜まってた掃除できませんか? 学校に子供行かないから仕事にいけないで困る? でも休みたかったんじゃないですか? 仕事で疲れてませんか?

実はちょっと視点を広げたら、コロナウイルスは様々な可能性を秘めていることもあるのではないでしょうか?

どうしても、人間は常に誰かのせいにしたがる生き物です。

学校があるから、会社があるから、遊びに行かなきゃならないから、休みだから。。。

そうじゃなくて、本当にしたいこと、それを
自分でする事。外に求めていた「答え」を内に見つける時間と機会をコロナウイルスはもしかしたら、それらを失った現代人に教えてくれているのかもしれません。

そんな風に考えると、コロナウイルスは恐怖と希望の陰陽の象徴だと思えるのです。

そして、日本の皆さんにどうぞ今一度思い起こしてほしい事があります。それは、皆さんが持つ、武士道を元にした美意識です。

それが、コロナウイルスとどう関係があるんだと思われるかもしれません。だけど、コロナウイルスと今後人間がどのように付き合っていくかにはとても重要だと思うのです。

武士道の精神の根本は、「美意識」です。自らの立ち居振る舞い(生き方、死に方を含めた)が、美しいかどうかが重要なのです。

ちなみに、皆さんにも身近なところで、知らず知らずのうちに、武士道にどっぷり浸かっています。

「あなた、皆さんに迷惑がかかるからやめなさい」

「それは恥ずかしいでしょ」

「お天道様が見てるから」

「えーそれするのカッコ悪いからやめよーよ」

「周りの目があるでしょ」

こんな言葉達、一生に一回は皆さん使っていませんか?

これって日本の特徴だと思います。日本という国は、周りから見て「美しいか」「醜いか」が重要で、そしてそれが価値判断基準という精神の根底にあるんです。

つまり、日本では「正解」か「不正解」、「正しい」か「間違ってる」かではなく、「カッコいい」か「カッコ悪いか」、「潔い」か「往生際が悪いか」という美意識がより重要なんです。

例えば、どう考えても、明治の西南戦争を起こした、西郷隆盛や桐野利秋などなどは、間違った判断だと思います。なんせ、西南戦争は、自分達が、汗と血で作りあげた明治政府をまた壊してする行為かつ多くの犠牲を払うことになるわけですからどう考えても「間違い」です。だけれど、彼らの思いや、死際が美しいんです。だから西郷さんは英雄だし人気ものなんです。

関ヶ原も同じです。どう考えても石田三成は戦国の習い(弱肉強食)からしても、常識的に考えてもおかしいんです。秀吉亡き後のナンバー2の家康に、ナンバー20の三成は喧嘩を売るわけです。三成は自分の10倍ぐらい開きがある人に「義」というイデオロギーで対抗するんです。戦国のルールは間違っている、「義」が重要だと。だけどそれが美しいんです。

そして、太平洋戦時における、特攻も同じです。戦略としては、絶対に間違っています。出発したら体当たりしか戦う方法がないのはただの兵器なんです。だけど、特攻した人たちは、自分たちが死ぬことで、この戦争の愚かさを後世に伝え、日本の未来を思う精神や心が美しすぎて、泣けるんです。そして、僕たち現代人の胸に熱いものを残こすのです。だから今でも特攻をモデルにした映画もドラマも作り続けられるわけです。

こんな風に、歴史的に日本人は「美しい」か「美しくない」かが、重要な判断基準だったんです。

そして、特に昔はこれが大切にされ、「武士道」としてこれが昇華され成熟したものになりました。

勿論、そこに矛盾は沢山あるし、それが間違った精神論になると問題も多いと思います。

だけれど正しくこの美意識を取り入れることは、本当に大切だと思います。

そもそもが、この日本の美意識は武士道が元になっていますが、それは「死際」を特に重要視しています。生が美しいともに死も美しくあるべきであるというのが根本なんです。

なぜなら、「死」が終わりではないということを日本人の人たちは本能的に知っていたからだと思うんです。

死んで全てが終わってしまうなら、生きてきた恥は掻き捨てでおkになるんです。

だけど死んでもあの世があって生まれ変わるから、死ぬ時美しくなければ、後悔するんです。

昔の人々は死際が汚かったら後悔する自分がいることを知っていたんです。

だから生きている間は当然の事ですが、自分がピンチになろうが死のうがどんな運命だろうが「美しさ」を求めたのです。

コロナウイルスで戦々恐々とするのもいいと思います。だけど、この日本の武士道もう一度思い起こしてほしいんです。自分の行動がカッコ悪いかカッコいいか。美しいか美しくないか。

今に生きてるだけ、今だけを見たら、コロナウイルスは怖いかもしれない。自分がかかってしまうかもしれない。

でもかかって死んでもその先はが、あるとしたらどうでしょう? もっと他のことしたくなりませんか?

コロナウイルスがいても、いなくても美しい生き方って何でしょう? そして自分の行動は美しいでしょうか?美しくないでしょうか?

そんなことを考えたら、ふと「腹に据える」ような強い気持ちになりませんか?

ブレない自分、それを与えてくれるきっかけがもしかしたらコロナウイルスなのかもしれないんです。

ちなみに、コロナウイルスの話を考えていたら、東北地方のマタギの人達の話をふと思い出しました。

マタギの人達は「山神様」を非常に恐れて畏怖しています。

ちなみに、山神様は卑怯なことが大嫌い。だからマタギ達は、動物達を撃つ時、卑怯な戦法は御法度だそうです。例えば、騙して捉える縄猟などだそうです。特に熊や猪に対しては正々堂々としないとけない。でないと山神様からバチが当たるというわけです。

何のことはない話なんですが、これは、マタギ達が山神様を知っていて、自分達からは見えないけど、そこに何か有り、山神様がちゃんと見ていると本能的に理解しているからこそ出来た美意識です。

自然と人とは対等であるべきという教えがそこにあるんです。

そんな、マタギの話から、コロナウイルスとも対等にあるべきなのかななどとも思いもします。

胸を張って堂々と「おいコロナウイルスよ、あっぱれだ!!なかなか、あんたもエライコッチャ!!こいよー勝負だ」と言えるような自分でありたいものです。

周りが、社会が、人が、自分から見て恥ずかしいかどうかもあるかもしれない。だけれどもっと大切なのは、お天道様、山神様、人間には何かわからない人智を超えた存在。それから見て恥ずかしいことなのか、卑怯なことなことなのか。そう思う感覚こそ、今僕たちが、もう一度思い出す必要があるものなのでないでしょうか

  • (出典 www.bushido.or.jp)

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