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MAKOA ブログ

TMT巨大天文台はマウナケアに必要?

Mauna a Wakea 天の神 Wakeaの名を頂いたハワイ島の神聖な山。もともとは、Mauna a Wakeaという名前だったけれども、キリスト教伝播以降、絶対的唯一神の元、山に神様の名前が付いているのは、けしからぬとして、残念ながら、Mauna Kea(マウナケア)と呼ばれるようになった。

いつの時代も、人間は何らかの絶対という正義を振りかざし、そこに悲しみが生まれる。今、マウナケアは、科学という20世紀に完熟した人間の正義の元、大きな危機にさらされている。それは、巨大な天文台TMTが山の頂上付近に建設されようとしているということだ。

建設予定地である場所は、山頂において、風がもっとも強い場所であり、雲が当たる場所。そこに、18階建て、8エーカ(約9792坪)の天文台が立てられようとしている。今までにない、大きな望遠鏡で星を観測できるため、新たな星の発見やブラックホールの解明、地球外生命体と交信ができるとしてこの計画が推進されているのだ。

けれども、新しい星が見つかったところで、僕たちの明日のご飯の内容は変わらない。。。むしろ、環境汚染によって、地球から人間が離れて違う星に移動しなければならない時間が短くなるだけである。

ヒロもハマクアも、コナもマウナケアの地下水が流れている。これらの地下水が、TMTが建てられることで汚染される。なんと年間5000ガロン(約19000リットル)の汚染水が出る。これは、巨大な望遠鏡を維持するコンピューターなどの機械の冷却水などに使われた水などである。また一週間に120-250キュービックフィート(3038リッター~7080リッター)のゴミが出る計算になる。

環境汚染だけでなく、ハワイの文化や歴史的観点からしても、TMT建設がいかに、問題なのかがわかる。ハワイアンにとって、マウナケアはお墓であり、神に祈る場であり、新しい命を天につなげる場所(赤ちゃんのヘソの緒をマウナケアの上にある湖waiau にもっていき、天や大地と繋がる)である。考古学的にも非常に重要な場所なのである。

TMT建設予定地もそのような場所のうちの一つである。そして、マウナケアの上に天文台を新しく建てる為には、既存の天文台を壊さなければ建てれないという約束が、裁判所の判決により、地元住民と天文台群の間で交わされた。それは、とうに反故され、今、TMTは立てられようとしている。

そして、日本はこのTMTに25%の支出する。もう一つ、天文台とは日本にとって何か。それは、紛れもない、軍事技術や経済力のアピールである。天文台に使われる、天体観測ようの望遠鏡につまれる、スーパーコンピュータは、まさに、ピンポイント宇宙爆撃のためのものである。ちなみに、種子島の宇宙開発、これは、核爆弾を飛ばす技術の研究である。そして、原発はプラトニウムというわけなのである。天文台、種子島の宇宙開発、原発。この三つでいつでも、日本は戦争できるという意思を世界に示している。

ちなみに、経済的には完全にアベノミクス(三本の矢)の政策一環である。第1期安倍政権(2006~2007)の後半あたりで表沙汰になり始めたこの政策は、簡単に言ってしまえばデフレからの脱却のため、インフレ政策をとるということである。そしてこの時期に重なるように、TMT天文台建設計画がもちあがり、日本の政府にも話がきたのである。デフレからの脱却に必要なことは、単純に言ってしまえば、日銀が日本市場の円を回収し金利をあげる政策である(実際こんなに単純ではないが)。そこで、回収せずとも市場に溢れる円を少なくする方法が国際的な投資である。そうTMTという巨大な天文台に円を投資すれば、市場の円が少なからず減るのである。ちなみに、TMTは約1.8兆円の予算が組まれている、そのうちの25%だからなかなかの額だ。

僕たちの日本という国が、ハワイに住む人々の悲しみを作ることに加担してしまっている。なんとも、悔しい出来事だ。けれども、TMT天文台だけではない。世界には本当に、このような人間のエゴで塗り固められた、問題が山積みなのである。天文台反対を機に多くの人たちが様々なことを見直してほしい。そして、僕の母国である、日本の人たちも、自分たちの生活や今置かれている社会の状況をしっかりともう一度、考えてほしい。僕たちが知らない間に政府は国は何をしようとしているのか。原発反対も決して諦めてはいけない。ちいっぽけな一人の意見などない。
一事が万事、万事は一事なのである。

かつて、明治に田中正造は足尾銅山鉱毒事件に確固たる態度で臨み、足尾に住む人を、足尾の文化を歴史を自然を守ろうとした。そして、こう言った。

「真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし」と。

ひとつの川はやがて、大海となる。一つの川が何千、何万という命を育むのである。よって、一つの川も山も守らなければ、多くの命は育まれないのである。一人一人がこの言葉を胸に、「真の文明」を見つける日を願って。